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2008年12月03日

曜変天目茶碗の再現、メカニズム追求の足跡

先日、今までに一体全体どれほどの天目茶碗を成形し焼いてきたのか、大凡数えてみた。30年の間に焼いてきた数は、おおよそで3万個ほどであった。
もちろん、毎年焼いてきたという訳ではなく、実際に焼いた時間は合計すると5年ほどの間であるに違いない。
中にはタイル状のテストピースや杯型のテストピースも使った物もあるが、それでは結果が分かり難いので、実際に12cmほどの天目茶碗を作った数である。
私が曜変天目茶碗に興味を持ち、それのメカニズムについて素人なりに考え始めた頃には既に2人の方がそれの再現に成功したとして、新聞紙上などにも取り上げられていた事になるが、それすら知る由もなかった。
文献と言えば、平凡社から出版されていた陶磁器シリーズの「天目」:小山富士夫著と、その後に出版された出川直樹氏監修の「やきもの鑑定入門」くらいのもので、山崎一雄氏の論文「古文化財の科学」を読んだのは、それから数年後の事であったと記憶している。「天目」は、表紙から曜変天目の拡大写真が載っており、今になっても、この写真が本物の曜変天目のイメージを知らせてくれる一級の写真のように思えるもので、多くの事をこの本から学びもしたものだ。
やきもの鑑定入門」には、ただひとつ安藤堅氏が再現されたと言われる茶碗の写真が掲載されていたので、初めは、既に曜変天目の再現というものは終焉しているものだと思いこんでもいたものだ。
そもそも、曜変天目茶碗という物や中国の焼き物は興味などなかった事も事実であり、それが何故に3万個もの天目茶碗を作る事になったかと言うと、近隣で作陶されていた陶芸家の元を訪れたおりに、その作家さんが曜変天目の再現に躍起になっておられた事で、なんとなく興味をもったものでした。
失礼ながら言ってしまえば、その陶芸家も再現したと言って、地方新聞に掲載されていたのですが、素人の私の目から見ても、「これは違うだろう」と思ってしまった、この瞬間に心の何処かに「よし、俺が作ってやろう」という、バカな考えが浮かんだ事が切っ掛けでした。

最初は、油滴天目の釉薬に何か特別な金属を添加すれば、曜変天目になるのだろうというくらいの簡単な気持ちでした。
まだ、建窯の油滴も磁州窯系の油滴も見分けがつかない頃の話です。
釉薬調合の本に載っている油滴天目釉の調合に、片っ端からいろいろな金属を添加しては、試験していきました。
タングステンやモリブデン、バナジウム、など虹色発色の得られる物もあり、今日こそはと思いながら、窯焚きを続けたものです。
イットリウム、ガリウム、ベリリウムなどという見当違いな物まで、とにかく試していったのです。

もちろん、そんな試験をいくら繰り返した処で、曜変天目らしきものすら出来る筈がありません。
中には虹色の油滴斑が出来たりした事もありましたが、この頃はこの「虹色」という言葉に惑わされる事も多く、それは様々な本に書かれた虹色という言葉や虹彩という文字から来る勝手な思いこみでもありました。
マンガンラスター釉やチタン結晶釉、マンガン結晶釉などを虹色に呈色させてみたり、亜鉛結晶釉まども虹色に発色させる実験まで行いましたが、どうにもこうにも思ったような物にはなりません。
チタン結晶などが、バナジウムと化して三角形のハウスマナイト結晶は、曜変天目風に群れを成して析出したり、タングステンが多角形になって結晶したり、いろいろと惑わされながら、一向に埒はあきませんでした。
学校時代に化学で触れた事のあった、ファブリルガラスの技法や、アメリカなどでは昔から行われている、虹彩を発色させる技法なども行い、一度本焼きした黒天目の上から細工するなども試みましたが、綺麗なラスター性の、曜変天目によく似た斑紋は出来ますが、それが建窯の天目と同系列の物とはとても思えませんでした。

いろいろな化学的な方法を試し、行き詰まり、今度は天然の鉱物をテストする事に奔走しましたが、丁度、そんな頃に釉薬調合の著作でも有名な高嶋廣夫先生とお話する機会があり、そこで「瀬戸の磁器製造の会社の社長さんで、曜変天目に詳しい方がいる」という事を教えていただきました。
長江惣吉さん(先代)でした。
既に三越デパートで、曜変天目茶碗の個展を行われた後でした。
それから、交流を持たせていただいた長江先生とは5ねんほどの間に、いろいろなお話をさせていただきました。
長江先生も自分の作品には満足はされていなかったようで、電話で数時間もお話した事など、懐かしい思い出です。

そんな事をして、いろいろな実験ばかりを繰り返しているうちに、ある山地で採取してきた石粉を焼いた処、禾目天目が突然のように焼けました。
それまで、リチウムを入れたり蛍石を入れたりして、表面に吹き出した鉄分を無理矢理に流下させるような方法でしか出来なかった、禾目天目(兎毫盞)が、ある日突然のように、自分の窯から姿を現しました。
何と言う事のない、何処にでもありそうな火成岩だとは思ったのですが、たまたま粉状になっていたので、釉薬にするのが楽だと思い、採取して来た物でした。
或意味で、私はあっけにとられてしまいました。
曜変天目どころか、禾目天目さえ建窯と同じと思えるような斑紋は出来た事がなかったのに、何も考えずに焼いた茶碗にそれが出来ていました。
その頃には、中国での建窯の研究も進んで、陳顕求氏などの研究論文が出ていましたので、それに記載されていた建窯の禾目天目に関する釉薬の成分分析などを見て、調合しても全く上手く出来なかった物が、呆気にとられるくらい簡単に目の前に現れました。

油滴天目は、禾目天目のような訳にはいきませんでしたが、それでもいくらか成分を調整し、使用する粘土をいろいろと試している中から、これもある日突然、建窯の物に似た物が生まれ出ました。
油滴天目は禾目天目に比べ、釉薬の調合もさることながら、焼成雰囲気や使用する粘土の成分に敏感に反応するようで、二度目を焼こうと思っても、10回焚いて1回上手くいくかいかないかという厄介ものです。
しかし、ほぼ同じ釉薬を使って禾目天目と油滴天目が出来る事は、自分にとって大きな収穫とはなりました。
もしかすると、曜変天目も同じ釉薬で生まれるのではないかという、空想、妄想を楽しませてくれもしたからです。

こんな事が分かってから、私はそれまで保存していた、弁柄やマグネサイト、亜鉛などの化学薬品を全て捨ててしまいました。
やはり、自然界から手に入れた物でなければ焼き物は出来ない。
そう思ったからでした。
化学薬品を使って現れた虹色のラスターも、結晶も、斑紋も実につまらない物だと思えて来たのです。
そんな経験をしてから、50回か60回かした頃でしょうか、曜変天目と同じと思える斑紋は、私の前に姿を現しました。
色彩に関しては、まだまだ駄目でした。
何回か焼成するうちに、色彩は出来るが斑紋は出来ない、斑紋は出来るが色彩が出ないという事を繰り返し、青く見えたり、赤く見えたり、緑色に見えたりする部分が、見る角度によって動いて見える現象を持つ物も出来ましたが、この頃から確信した事は、今までに何度も書いてきたように「曜変天目とは一つの現象である」という確信にも似たものでした。
何故日本にある3碗(織田信長所有を入れても4碗)しか存在しないのかという疑問にも適切な説明が出来る事や、曜変天目が出来る原理についても適切な説明が可能であるからです。
しかし、そう思った途端に、私の曜変天目に掛ける興味は次第に薄れてしまいました。
陶芸家ではない私にとって、曜変天目が出来るメカニズムの秘密にこそ興味はあっても、その技法を使って、素晴らしい茶碗を作る事には興味が湧かないからというのが、正直な気持ちでしょうか。
結局の処、30年近くの年月を掛けて、大きな自己満足を味合わせていただいたという事のようです。

(リテック H記)
http://www.geocities.jp/retechnical/youhenindex.html



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ニセ曜変天目を作る
http://homepage2.nifty.com/nessho/youhen.html
電話:055−226−4193
posted by marukoge at 04:59| ☀| 陶芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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